酒井倫明の原点

院長インタビュー

院長酒井倫明

原点は道を究めた職人。
繊細な技術と圧倒的な知識が必要な形成外科は、職人技の世界

転勤族の子どもだったから対応能力が培われました。

「ご実家はどちらですか?」って聞かれると、両親が住んでいる場所は横浜なので「横浜です」って答えるんだけど、実は横浜には住んだことがないんです。

生まれたのは東京です。
ただ生まれてすぐ大阪に引っ越しちゃった。
だから言葉を覚えたのは大阪ですね。
でも小学校でまた東京に戻ってきて4年くらい住んで、今度は仙台に引っ越しました。
父が転勤族だったんです。

仙台に2年いて、次は富山。
それでまた東京に戻ったという感じですね。
東京に戻って高校生になったので、それからはずっと東京です。
ですから、一番思い出があるのは東京ですね。
印象的だったのは富山かな。雪がすごくてね。
その頃、駄々をこねて犬を飼ってもらったので、それもあって富山のことはよく覚えていますね。

転勤族の子どもだったから、対応能力はかなり高かったんです。
小学生でも高学年になると、言葉が違ったら仲間に入れないんです。
子どもの鉄則ですね。
だから仙台でも富山でも、3カ月しないうちに方言をマスターしていましたよ。
その頃から、コミュニケーションをとっていかなければという気持ちは強かったですね。

気質的なものだけれど、僕は「みんなで何となく楽しくやっていこう」っていうタイプなんです。
だからコミュニケーションをすごく大事に思っている。
それに美容外科を含め、形成外科というのは患者様と30~40分じっくりお話をして診察する科なんです。
他のお医者さんだと1~2分のところも多いでしょう。
僕は診療のときも患者様とこのままの感じでお話します。

コミュニケーションの大切さや対応能力は、子どもの頃に培われたものかもしれませんね。
それが今も役立っているという感じでしょうか。

医師で学者の叔父に憧れて医学の道へ。

医者になろうと最初に考えたのは高校生の頃です。
医師の叔父がいたんですが、これがハチャメチャな人で。
医師といっても免疫学の学者で、アメリカで研究をしていたんですね。
そしてたまに日本に帰ってくる。
当時、最先端だった腎臓移植の研究をしていました。
その叔父がすごくカッコよく見えたんです。

進路について考え始めた高校生の頃、自分について改めて確認してみたんです。
ギターを弾く、写真を撮る、プラモデルをつくる。
数学や物理っていう理屈でカチっとはめていく学問も好きだ。
これを分析して、僕は「職人になりたいんだ」って気付いたんです。

職人だったら美容師でも陶芸家でも何でもよかったんですが、叔父のカッコよさと、職人に学問も加味されているということで医師になりたいと思うようになりました。
漫画のブラックジャックみたいに、医師には「人を助けることができる」カッコよさのイメージがあった。

ただ、医学部入学は当時とても難しくて、一時あきらめたこともあったんですよ。
高校時代はけっこう遊んでいましたから。
ただ、理工系の大学に入って、でもやっぱりここは違うと痛感した。
それで一念発起して頑張ったら医学部に入れちゃったんです。

形成外科の基礎を、手に、体に、感覚に徹底的に叩き込んだ。

職人になりたいと思うくらいだから外科医ですね。
内科系は学問の世界ですから。
それで、大学に入ってみると、ウチの大学では、眼科、産婦人科、形成外科が発展していた。
眼科は女医さんばっかりだったし、産婦人科は職人っていうのとまた違う。
形成外科は診療科としてはできたばかりで、今後どうなっていくのかわからない部分はあったけれど、何だか面白そうだった。
当時、美容外科なんてまだ知りませんでしたから。

その当時、ウチの大学の形成外科は教授のレベルも高くて、それも魅力でした。
それに扱う症例数も群を抜いていた。
たとえば、口唇口蓋裂なんかでは、東大病院が年間60~70例の手術をしていたとき、ウチは2千例の手術を行っていた。
医局というレベルでは断然ぶっちぎりだったんです。
東大病院の30倍の手術を請け負うだけの教授陣でしたから、カリスマ性も高かった。
「ここだったらやりがいもありそうだぞ」と計算も働いて、それで形成外科の医局に入ったんです。

入ってみてびっくりしたのは、ペーペーの僕らに手術をさせる。
「できません」って言っても「しくじったら全部面倒見るからやれ」と、とにかく手術をやらされた。
本当に、職人みたいに育ててもらったんですね。
それがよかったと思う。たくさんの症例を診る、この経験はすごく大事ですよね。
そして、集中してそうやって覚えたことは、体に染み込んで一生忘れない。

「どうしてもダメだったら呼べ」と言われてまかされる。
出来上がって見てもらうと、「ここやりなおし」と言われる。
患者様にとっては手術時間が増えることで負担になります。
大学病院というのは、技術を持つ専門医を育てる医療機関ですから、こういうことも必要ですが、自分としてはできるだけ患者様に負担をかけたくない。

それで、次の手術までに徹底的に猛勉強していくんです。
わからないところがあれば先輩や教授に食い下がって聞く。
すると、そこではじめていろいろ教えてくれる。それは当然で、必要があって学びたいという気迫があってこそ、理解できるし覚えられることなんです。
そうやって習っていきました。

子どもの頃、自転車に乗れた人は、30年間自転車に乗っていなくても、自然にちゃんと乗れるでしょう? 体が覚えているんですね。
解剖学の実践的な知識や形成外科手術のテクニックもそうやって、手に、体に、感覚に叩き込まれたから、それは一生忘れないですよ。

救命救急医療にも奔走した形成外科黎明期。

僕が医局に入った当時は、形成外科が診療科としてスタートしたばかりで伸びてきた時代でした。
形成外科のテリトリーを耳鼻科や口腔外科といった他の科がそれまで担当していたものまで広がっていった。

ウチの大学は日本全国に病院を持っているので、医局で形成外科専門医の資格を取ったら、全部ひとりでやりなさいと地方の病院に派遣させる。
それがウチの医局の基本でした。ですから僕も、いろいろな地方の病院に形成外科医として赴任しました。

当時はまだ形成外科について知っている人が少なかったんですね。
それで、医師会にいって啓蒙活動する、勉強会を開く、消防署に挨拶に行って「救急車を受け入れますよ」と伝える、救急センターに足しげく通うといったことからはじめました。

救急の責任者になったときは、医局の研修医をアルバイトで救急救命医として雇って、「救急に形成外科医がいるとこんなに便利ですよ」というのを実際に見てもらった。
道具から何から入れて。
救急治療に関しては、形成外科医は本当に優秀です。
顔面外傷もできる。
それがわかってもらえるにつれて、どんどん忙しくなっていった。

この経験でよかったのは、医局の後輩を自分が育ってきたように育てられたことですね。
大学にいる後輩は、最新の難しい手術をできたりしますので、僕が後輩から学ぶことも多かったですよ。
先輩とか後輩というのを抜きにして、仲間として付き合えたので楽しかったですよ。

形成外科の一分野、美容外科の魅力。

形成外科や救急に携わっていたときも、美容外科には強い興味がありましたし、新しい風を感じていました。
それに実は、形成外科と美容外科の手術には、はっきりした境がなく、手術で行うことは実は同じなんです。
それで勉強を続けているうちに、美容外科の面白さがどんどんわかってきました。
 
そうこうしているうちに時代が進んで、形成外科が縮小していくご時世になってきました。
交通事故も少なくなってきた。
再建に関して、他の科が形成外科のテクニックを取り入れた治療を始めるようにもなりました。
そんな中で、形成外科の世界では美容外科の占める割合がどんどん大きくなっていったんです。

そんな中で、形成外科がきちんと行う美容外科は、もしかしたらものすごいことができるんじゃないだろうか。
そう感じ始めていました。

美容外科は、正常な方をより美しくするためのものです。
より美しくするのだから、手術の傷がわかってしまっては意味がない。
形成外科医の腕が本当に試される分野なんです。
実はとても残念なことなんですが、技術的に病変を治すことはとても難しいんです。
これが大きなストレスになっていたんですね。
美容外科では、健康な方が対象ですから、思ったように結果が出る。
それも大きな魅力で、美容外科にいっそうの興味がわいてきました。

クリニックで編み出してきた、オリジナルオペレーション。

このクリニックは、もともと僕がアルバイトに来ていたところなんです。
とても小さいクリニックだったんですが、ここで美容外科を専門的に習ったんですね。

大学の助教授をされていた方のクリニックで、今は名誉教授になられているんですが、その方が教授になるとき、このクリニックを続けていけなくなって、それで「やらないか」っていうお話をいただいて、経営権を引き継いだのがはじまりです。
美容外科をやっていて面白いなと思ったのは、あるホステスさんの手術をしたことですね。
クリニックに最初に来たときには、赤羽のお店にいた。
ウチで1回手術をしたら、六本木のお店に移っていった。
さらにもう1回手術をしたら、今度は銀座のお店からスカウトされて最終的にそちらで働くことになった。
外見っていうのは、これだけ力のあるものなんだなと実感しました。

形成外科の手術には正解がないんです。
胃がんや心臓病では「こうでなければ」という正解があります。
でも、形成外科は解剖学的に正しければ、どんなことをやっても結果がその通り現れる。

基本さえしっかりマスターしていれば、どれもオリジナルオペレーションになるんですね。
国内外の文献を調べて誰もやっていないけれど、解剖学に精通していればこれでできるということがわかるし、結果がきちんとついてくる。

基本的に習ったものをやり込む人が多いけれど、それでは頭が固すぎると僕は思います。
人間は千差万別ですし、解剖学的な基本をしっかり押さえて、その上でその方に合うよう手術をフレシキブルに変化させていかなければいけない。
形成外科は芸術と一緒で、どうとらえるかかなり自由度が高い世界だと僕は考えています。

だから、ウチでは他でやっていない手術も多いですよ。
繊細な技術を持っていなければできない手術も多いので、なかなか真似できないというのはあるかもしれません。
職人を目指したくらいですから、どうしたらもっといい結果を出すことができるか、工夫するのも好きなんです。
患者様にできるだけ負担をかけず、最大限いい結果を出すことができるものを、常にそれを考えていますね。

もっと先へ。苅部先生に託す夢。

僕と苅部先生は親子くらい年が違いますけれど、難しい症例があればあるだけ、技術者として、芸術家として燃える物を感じる、そういうところは似ていますね。
関係性ということでいえば、息子とは少し違いますね。
息子だと喧嘩になることもありますよね?
苅部先生は本当にいい仲間という感じだから、どちらかといえば歳の離れた兄弟という雰囲気でしょうか。

苅部先生のことはね、頭がとてもいいのは最初からわかっていました。
彼の知識量はすごいですよ、感心しています。
あとは、とにかく「技術を学びたい」っていう意識が伝わってきたことが印象深いですね。

雰囲気もいいですよね。
完全に外科っていう感じ。あとは、にじみ出る誠実さ。美容外科医としてだけではなく、人柄が誠実なんだよね。

僕はね、この年まで試行錯誤してやってきて、その中で世界でも僕だけっていう手術を編み出してきた。
それをね、全部、苅部先生に教えたいんです。
それはね、ここまで僕が高めてきた技術を受け継いでもらうっていうだけのことではないんです。

苅部先生はまだお若いです。
その出発点で今、僕と同じくらいの技術レベルがある。
ということは今後、僕の技術の全てを受け継いで、もっともっと上に行ってくれることが確実じゃないですか。
苅部先生だったら、この技術をもっと高めてくれる、そう思っているんです。

こういう先生が来てくれて、僕は本当にうれしいんです。
去年、このクリニックを改装しましたが、それも苅部先生が来てくれて、クリニックが今後伸びていくであろうことを確信したことが大きな理由になっていますね。
彼がいることで、僕のモチベーションもかなり上がってきています。

「縫い方」については常に最善の努力をする。

現在、世間にはあまりよくない美容外科もあります。
そういうところでは形成外科の専門医ではない医師が手術をしていることも多い。
美容外科は形成外科の一分野ですから、解剖学の知識、特殊な器具を使いこなす技能、手術のテクニックに関して徹底した訓練を受けていなければできないものなんです。

そういったよくない美容外科で失敗した患者様がウチにはたくさんいらっしゃいます。
昔はこのことにすごく怒っていたけれど、今はとにかくそうした患者様に誠意を込めて手術をし、いい結果を出すことを念頭にしています。
難しくなればなるほど、職人として、芸術家として燃えるものがあるのも事実です。

何より、他で失敗して悩み抜いた方がいらして、満足のいく手術をするのは、その方にとってもものすごく救いになることなんですね。
そういう方に満足感をさしあげることができるのは医師冥利に尽きます。

形成外科医は、縫合のときに1年も経てばどこを縫ったのか、まったくわからないような縫い方をします。
僕は手術の「縫い方」ということであれば、常に最善の努力をこころがけていますね!

手術後、患者様に鏡を見ていただくんですが、そのとき、「前の先生と縫い方が100倍くらい違います! 全然違う!」って驚かれる方が多い。
「これが形成外科なんですよ」と落ち着いた声で答えていますが、心の中ではもう「でしょう!」とドヤ顔ですね(笑)。

まだまだ可能性のある美容外科。

若いころはお金儲けに興味がなくはなかったんですが、あるとき、必要なお金はそう多くなくてもいいことに気付いたんです。
たとえば、大豪邸をつくってリビングが百畳もあったら、トイレに行くのだって大変じゃないですか(笑)。
それより、形成外科医として自分ができることを極めたい。
その上で普段の暮らしをそこそこ楽しめたらそれで十分じゃないかと考えるようになってきました。

収益性を追求しない美容外科の意味は、職人やデザイナーと同じ方向性になります。
なにしろ、私は基本的に形成外科専門医ですから、美容外科も疾患と同様に診てしまうのです。他院での良くない結果の修正であれば、これは外傷後の傷跡の修正になります。
綺麗になりたいと言う方には、現在の状態を異常と考えたとして、では、正常である「きれい」に修正する手術技術を応用しようと考えます。

美しくなりたい、若々しくありたいというのは、脳が発達して文化を持った人間だけが感じることです。
進化したからこそわき起こる感情なんですね。

形成外科は、奇形や事故などで失われたものを正常な状態に再建すること、そして美容的な修正を行ってコンプレックスをなくしてさしあげることができる診療科です。
患者様の心を癒し、クオリティ・オブ・ライフを上げるお手伝いができるという、とても意義のある医療なんです。
僕はね、形成外科医がきちんとやる美容外科は、今後、素晴らしいことができるんじゃないかと思っている。

美容外科はまだまだ新しい手術法が生まれる余地がたくさんある。
その意味でも大きな可能性を秘めた分野ですし、僕がやれることもたくさんあると思っているんですよ。

学歴・職歴

1985年 昭和大学医学部卒業 昭和大学大学院入学
自治医科大学病院 整形外科
1987年 昭和大学病院 麻酔科
1988年 自治医科大学病院 整形外科
1989年 昭和大学病院 形成外科
東京逓信病院 皮膚科・形成外科
前橋日本赤十字病院 形成外科
1990年 昭和大学藤が丘病院 形成外科
1991年 昭和大学病院 形成外科
東大和病院 形成外科部長
1995年 酒井形成外科開業

その他

1991年 医学博士号取得 日本形成外科学会専門医取得
2003年 昭和大学非常勤講師

所属学会

日本形成外科学会会員
日本美容医療協会会員
日本皮膚科学会会員
日本医師会会員
日本美容外科学会会員
豊島区医師会元理事
国際美容外科学会会員
昭和大学非常勤講師
日本臨床形成美容外科医会会員
皮膚腫瘍外科指導専門医
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